特別企画! THE WAY TO DUBAI
ドバイへの道~現地渡航編


20章 Rub' Al Khali ~ドバイ最後の夜

バイの人たちは今までまわったいろんな国の人たちと比べると、かなり時間に正確です。だからロビーに4時15分集合といえばきっかり4時15分にやって来るし、ダウ船クルーズだって出港時間になれば無情にも出港してしまうのです。さて、まもなくデザート・サファリの主催会社であるナイトツアーズの車がやって来ました。迎えに来たアンディ・ガルシア風のカンドーラ姿の兄ちゃんは、さっそく我々をランドクルーザーの後部座席に案内してくれます。すでに他の集合場所から乗客を拾ってきた後らしく、車内には台湾人おばちゃんふたり連れとインド系英国人美少女ふたり連れが乗っています。台湾人おばちゃんが「日本のどこから来たの?」と聞くので、「福岡です」というと、「私たち福岡経由で日本に行ったのよね~」という話になりました。彼女たちとおしゃべりをしているうち、車はやがてドバイ市街地を走りぬけ、建物がだんだんまばらになってきたと思ったら早くも砂漠の一本道という風景になりました。


◇ サバクは砂漠ではない? ◇

ブ・アル・ハリ(Rub' Al Khali)砂漠、アラビア語で「空白の四分の一」という意味のこの砂漠はアラビア半島南部の大砂(すな)砂漠です。サウジアラビア、UAE、オマーン、イエメンの4か国にまたがっており、面積は648,000平方キロメートル。これはアラビア半島の四分の一を占め、日本の国土が約2つ分入る広さです。かつて本多勝一氏は著書「憧憬のヒマラヤ」 の中で、「サバクは砂漠ではない」という一文を載せています。乾燥地帯で草原にもなれないようなところはすべて砂漠であり、それは砂である必要はなく、高原でも山岳でも、土でも岩でも地形や構成分子には関係はないのだから、「砂漠」という言葉は誤解するためにのみ都合がいい、とのこと。確かに世界の砂漠の大半を占めるのは岩石砂漠や礫(れき)砂漠だし、当用漢字が制定される以前は「沙漠」と書いていたそうです。しかしここルブ・アル・ハリ砂漠は、まさに童謡「月の砂漠」に代表されるような、我々日本人がイメージする「砂漠」そのもの風景が広がっていました。


車は1時間近く走ると郊外のおみやげ店に到着、しばらくここで休憩します。置物やおもちゃに帽子、衣類、飲み物などのほか、取っ手の部分にドラゴンやイーグルをあしらった槍やナイフといった、とても機内には持ち込めそうもないおみやげを売っています。すでにこのあたりまで来るとドライヤーの熱風のような風が吹いてきますが、もうだいぶ陽も傾いているし乾燥しているのでまったく不快感はありません。ここからまた10分ちょっと走ると砂漠の入り口というか出発点に到着しました。まずはここでタイヤの空気を抜きます、これはタイヤの設置面積を増やして砂の中にスタックしないようにするための大切な作業。ヒマな観光客が「ヘ~イ、そこで何してるんだい?」と運転手のところにのぞきに行ってます。次にボンネットを全開にし、エンジンを冷やしながら他の車の到着を待ちます。車は続々と集まってきて、全部で10数台のランドクルーザーが集結している姿はまさに壮観です。


◇ デザート・サファリ ◇

ザート・サファリは別名デューン(砂丘)・サファリとも呼ばれています。我々6人の乗客は、まず気分が悪くなった時用の黄色いビニール袋を手渡され、誰から指示を受けたわけでもないのに自主的にシートベルトをしっかりと締め、足を踏んばっていよいよ出発です。と、突然!・・・いきなりしょっぱなからもの凄い下り坂になって、体が前につんのめります。車は主に砂丘の尾根沿いを中心に、かなりのスピードで突っ走るのですが、時おり大量の砂を巻き上げながら斜面を滑り落ちていき、再び急加速で丘を登りつめて行きます。「いま車体がひっくり返りそうになりながら横向きに滑り落ちたのは、それは予定の行動か?」と思わず突っ込みを入れたくなります。車内は女性が5人いるので世界共通の「キャ~!」という悲鳴とともに、みな両手で手すりにつかまってマイナスGと横Gに耐えながら飛びはねています。特に気分の悪くなった人はいなかったようですが、ダンナ河野は揺れる車内でなかなか思うように写真が撮れず、あちこちに頭をぶつけていました。


まもなく平坦なところに出たので、ここでいったん休憩します。観光客たちは少しホッとした様子で、車を降りて記念撮影などをしていますが、万一こんな砂漠の真ん中でひとりだけ置いていかれたらどうなるんだろう?・・・と、あらぬ想像をしてしまいます。外は相変わらず熱風が吹いていますが、ビーチなどと比べるとはるかに過ごしやすく、汗もほとんどかきません。ためしに足元の砂をすくってみると、驚くほど目が細かくて粉のようにさらさらしています。休憩時間も終わり、全員が揃っているかどうかを確認して出発です。再び連続する砂丘のアップダウンを繰り返してしばらく走り、ようやくキャンプサイトに到着しました。



着したのはアル・シャムシ・ベドウィン・ヴィレッジというキャンプサイト。ここにはサンドバギーや鷹狩り、水パイプ、ヘンナペインティング(手や足に植物性の染料で模様を描いてもらう)、ラクダ乗りなどのアトラクションがあります。ちなみにドバイでは鷹狩りがスポーツとして行われており、実際に野雁や野うさぎを獲るそうですが、観光客向けのものでは、ロープの先端に疑似餌を結び付けて大きく回転させ、鷹に攻撃させるというパフォーマンスが行われます。この鷹匠のおじさんは欧米人観光客と何やら交渉していましたが、折り合いがつかなかったらしく、ぷいと横を向いて去ってしまいました。我々はとりあえず予算と疲労の関係でラクダ乗り体験のみ行いました。ラクダは立ち上がるときとしゃがむ時が要注意です。きゃつらは乗っている人間のスキを狙うかのように突然後ろ足で立ち上がり、いきなり前足からしゃがむので、体を後ろにそらせてしっかりつかまっていないと前方に放り出されてしまいます。背が高いので歩き始めると良い気分ですが、不安定な姿勢のままけっこう揺れるので、長旅だったら大変そうです。他の観光客たちも食事の準備ができるまでの間、思い思いのアトラクションを楽しんでいました。


とにかくここでは今まで運転していた人たちが、今度は料理人になって準備を始めるのだから大変です。運転技術は確かに一流ですが、料理の準備のほうの手際はどうも。中には食事の用意をしている傍らで、ライフルの手入れをしているお兄さんがいます。動物用なのか、侵入者用なのか?・・・、いずれにせよ細かい砂塵の舞う砂漠では不可欠な作業なのでしょう。広場の中央にはベリーダンス用の円形の舞台が造られていて、舞台の周囲には座布団がたくさん置かれたベンチがあり、そのまた外側に食事用のテーブルが置かれています。たっぷり待たされてあたりもだんだん暗くなって来ました。



円形舞台のそばのベンチに寝転がって砂漠に沈む夕陽をぼんやり眺めていると、ジェット戦闘機が単機、爆音とともに現れました。UAE空軍のF-16 ファイティングファルコンでしょうか、ミサイルや増槽タンクを山ほど搭載しています。このような大自然の偉大なパノラマとは不似合いの無粋な闖(ちん)入者を、やっぱりそういうのが好きなダンナ河野は写真に撮ろうとします。しかしデジカメはスイッチを入れてから時間がかかるので、機はあっという間に低空を横切って去ってしまいました。そのうちいくつか星も出始め、日本で見る月や金星と変わらないなあ、などと当たり前なことを考えているうち、ふたりとも座布団を枕にそのまま眠りに落ちてしまいました。


「エクスキューズ・ミー、ディナーの準備ができました。」という声で目が覚めました。あたりはすでに真っ暗になっており、観光客たちの長い列が出来ています。あわてて大皿を持って最後尾に並ぶと、先ほどの運転手さんたちがいろいろな料理を配給形式でよそってくれます。ソーセージやラム肉、鶏の足などをバーベキュー風に焼いたものが中心で、野菜やナン、スパゲティなども一緒にのせてくれます。さっきのライフル兄ちゃんも銃を肩に担いで給仕をしているので、前線にやって来た兵士のような気分です。どうせお酒は出ないし(後から聞いた話ではバー・カウンターもあるのだとか)、料理には期待していなかったのですが、空腹のせいもあって見た目よりはるかにおいしく、あっという間に平らげてしまいました。


食事が済むとベリーダンスの始まりです、グリーンメタリックな衣装をつけたお姉さんがしばらく音楽とともに腰をくねらせていたと思ったら、係の兄ちゃんが座っている客を次々と壇上へ引っぱり上げようとするではありませんか。ダンナ河野は「やばい!」と思って、ひたすら目を合わさないようにして小さくなっています。さすがにシャイな日本人、コーラやスプライトでは踊れません・・・と思ってたらニョーボ河野は一向にかまわぬ様子で、いっしょに来た台湾のおばちゃんふたり連れや他の客に混じって輪になって踊っています。こうしてドバイ最後の夜は、踊りと歓声とともにふけていったのでした。

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