特別企画! THE WAY TO DUBAI
ドバイへの道〜現地渡航編


17章 Sheraton Dubai Creek 〜ドバイクリーク河畔

バイといえば必ず出てくるのが、このクリーク河畔に建ち並ぶ個性的なビル群。向かって右端、居合いで一刀両断したような建物がドバイ商工会議所、その左側の垂れ下がったソーラーパネルのような建物がナショナル・バンク・オブ・ドバイです。ここは今度エミレーツ銀行と合併して中東最大の銀行になるのだとか。そのナショナル・バンク・オブ・ドバイの左後方に建つのがドバイ・クリーク・タワー、そして左端の三角の口を開けたような四角い建物が我々の宿泊するシェラトン・ドバイ・クリークです。後ろに隠れているゴルフボールが上に乗ったような建物は電話局で、UAEの電話局は皆このような形をしているそうです。なお、某大手出版社の発行したドバイのガイドブックでは、こんなドバイを代表するような風景の写真が何と左右逆に印刷されています、切手ならお宝なのかもしれませんが・・。



◇ 「暗いのが夜だ」 ◇

ェスティンやル・メリディアンなどと共に、世界に冠たるスターウッド・ホテル&リゾートの主要ブランドであるシェラトン。ここシェラトン・ドバイ・クリーク・ホテル&タワーズも政府認定、天下の5つ星ホテルです。また、ドバイの数ある高級ホテルの中でも、このようにクリークのすぐそばに建てられているホテルはそう多くありません。中に入るとロビーが大きな吹き抜けになっており、各階の外周に客室があるのが見えます。まず普通にチェックインを済ませ、近くのツアーデスクへ行ってダウ船クルーズを予約しました。これは日本で言えば屋形船みたいなもので、クリークをダウ船(アラブの昔ながらの船)で下りながら、夜景を見つつ食事を楽しむというもの。ツアーデスクのスダさんは見るからにインド系、ですがタクシー運ちゃんの前例もあるので、今回はニョーボ河野も「インド人ですか?」とは聞きませんでした。スダさんの話によると、ホテルのすぐ近くの船着場からアブラが出ているので、これに乗って対岸のイギリス大使館前の集合場所に行くようにとの事でした。

シェラトン・ドバイ・クリーク 正面 チェックイン・カウンター

係の人に案内されてエレベーターに乗り、部屋へ入ります。部屋はエレベーターの対角線上に位置しているので、かなり長い距離を歩いて到着。勇壮な外観と豪華な内装、広々とした部屋。しかしながら我々は昨日まであのバージュ・アル・アラブの宿泊客でした。マディナ・ジュメイラにも泊まって、アル・カサルやロイヤルミラージュを見てきたのです。そんな肥え太った目には、「感動せよ」などとというのは無理な話、「結構いいね」などと断片的に賛辞を贈りつつ荷物をほどきます。ここはクリークビューの部屋ではありませんが、窓ぎりぎりに寄って外を眺めると夕陽に照らされたクリークを見ることができます。

それにしてもこの部屋、夜になったら結構暗いのじゃなかろうか?そんなことを考えていてふと、以前見た黒澤明の映画「夢」の一場面を思い出しました。オムニバスの最終話、昔ながらの生活をしている川沿いの村に寺尾聰扮する旅人がやって来る話です。川のそばでは笠智衆扮する村の老人が水車を修理しており、老人の話ではこの村には電気もひかず、明かりはろうそくや種油を利用しているとのこと。寺尾聰が「夜は暗くないですか?」と聞くと、笠智衆老人は寅さんの御前さまを演じた時そのままの実に味わい深い声で、「暗い・・のが夜だ。夜まで昼のように明るくては、困る。星も見えないような、明るい夜なんて嫌だよ・・・ 」と答えます。

広い吹き抜けロビー ドバイクリークに沈む夕陽 一般的西洋ホテル風呂

そういった現代文明社会へのアンチテーゼうんぬんは置いといて、考えてみると世の中のホテルというものは、この「暗いのが夜だ」方式を採用しているところが大部分です。天井の間接照明と枕元のいくつかのスタンドだけだから、「昼なお暗い」といっても過言ではありません。やはり今まで過ごしてきた、それこそ「昼のように明るい」ジュメイラビーチのリゾートたちが特異な存在だったのでしょう。


◇ ダウ船クルーズてん末記 ◇

て、ホテル近くでなかなか飲食店が見つからないので、タクシーでゴールド・スークまで行き、地元の人が来るような冷房の効かない店で、サンドイッチなどを食べました。ゴールド・スークはその名の通り金・銀・パール、プレゼント(古い!)的な店がずらっと並んでおり、こんなに同じような店が並んでいて果たしてやっていけるのだろうか?と心配になるほどです。とりあえず我々には縁のない物ばかりなので、また移動してアルグレア・シティというショピングセンターに行き、お土産品などを見て回りました。ここにはレストランやフードコートもたくさんあるので、最初からここに来れば良かったかも。

その後、ホテルへ戻って一旦休憩していると、早くもダウ船クルーズの集合時間が近づいてきました。さっそく近くのアブラ乗り場に行き、アブラに乗ろうとしたのですが、アブラ船頭は1人50フィルス(1ディルハムの半分)のはずの渡し賃を、「10ドル寄こせ」などと法外なことを言うのです。「冗談じゃない!」と憤慨した我々は、近くの警備員に相談したところ、「そんなバカな話はない、この先にも船着場があるからそこで聞いてみたら?」とアドバイスしてくれました。そこで我々は小走りでそこからかなり離れた別なアブラ乗り場へ行くことにしました。今にも沈みそうなほどの大量の荷物を満載した船がたくさん停泊しているのを横目に走り、ようやくアブラ乗り場に到着すると、ちょうど船が出るところでした。「この船はここに行くか?」と地図を見せると、船員は適当に「うんうん」とうなずくので、少し気になりましたが急いで乗船。屋根付き両サイド横向きベンチのディーゼル船は満員の乗客を乗せて岸を離れ、ほどなく正規料金の50フィルスを集金に来たので少し安心しました。

オールドスーク船着場 オールドスーク入口 いずれも翌日撮った写真です

けど何かおかしい!イギリス大使館はすぐ対岸のはずなのに船はどんどん下流へと進んでいきます。船員に尋ねてもさっぱり要領を得ません。我々の焦りをあざ笑うように、アブラはゆっくりとクリークを斜めに横切りながら対岸に近づいていきます。ようやく到着したのははるか下流のオールドスーク。ここには洋服や日常雑貨、電気製品などありとあらゆる店がありますが、とてもそんなものを見ている余裕はありません。アブラを飛び降りた我々は、商店街が並ぶ昔ながらの町並みを汗だくで走り、やっと大きな通りに出ることができました。しかし周囲の道路は大渋滞、ようやくタクシーを拾って集合場所に到着したときには、無情にも船は出航した後でした。近くには出航直前の別な会社の船がいて、船員さんが「人数に余裕があるけど乗りますか?」と言ってくれましたが、2回分の料金を払う余裕は無いので、あきらめてまたタクシーに乗り、ホテルに戻りました。

後から聞いたツアーデスクのスダさんの話などを総合すると、どうやらアブラは乗合船なので乗客が集まるまでは出航しないようです。つまり我々だけの都合で船を出させる場合はチャーター扱いとなり、料金がかさむとの事。おまけにどうやらダンナ河野が「ディルハム」と「ダラー(ドル)」を聞き間違えた上、行き先の異なる別なアブラ乗り場から乗ってしまったというのが真相のようです。今思えば10ドルだろうが10ディルハムだろうがたいした金額ではないかもしれませんが、海外にいると結構神経過敏になったりするものです。


シティエリア初日からかなりへこまされた我々ですが、「ここで夫婦ゲンカをしたら負けだ」と考え、気持ちを切り替えてホテルのプールに行くことにします。三角形をしたきれいなプールでしばらく泳ぎ、少し気分が良くなって部屋に戻りました。今回大失敗には違いありませんが、そこはニョーボ河野もタダでは起きません。本来キャンセル料を全額取られるところを、電話でツアー会社に「なぜ我々を置いて出航したのか!」と抗議を開始。何とかうまい具合に交渉して、お金を1円も払わないで済むことになりました。もっともこういうケースでは100%払わさせられるのがほとんどですので、やはり集合場所や交通手段などは事前に十分チェックしておくのが無難です。

少しホッとしたのでホテル内の、「アシアナ」というインド料理レストランへ行きました。オールドスークを走り回ってかなりお腹も空いたので、カレー、サモサ、ナン、ライス、バドワイザーなどを次々に注文し、おいしくいただいていると、まもなく民族楽器の生演奏が始まりました。音楽に手拍子を打ちながら、今日はダウ船クルーズには行けなかったけどとりあえず良い日で終われたかな、などと一日を振り返ります。サモサ(インドの軽食、豆やジャガイモを三角形に包んで揚げたもの)は食べ切れなかったので持ち帰りにしてもらい、部屋に戻って死んだように眠りました。

羽根布団8点セットバーゲン会場



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